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映画「ラプラスの魔女」から「ラプラスの悪魔」を考える。見えないものが見える人。

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「ラプラスの魔女」は、東野圭吾の書き下し長編小説である。2015年5月15日にKADOKAWAより単行本が刊行された。映画は2018年5月4日に全国公開。主演は櫻井翔、監督は三池崇史、配給東宝(Wikipedia)。

 

「ラプラスの悪魔」とは

 

「ラプラスの悪魔」とは、主に近世・近代の物理学の分野で未来の決定性を論じる時に仮想された超越的存在の概念であり、フランスの数学者、ピエール=シモン・ラプラスによって提唱されたもののこと。概要:ニュートン力学(古典物理学)が席巻した近世科学・近代科学において見えていた世界観、演繹的な究極概念、「因果律」なる概念の終着点といってよい。量子論登場以後は、既に古いもの、とされることが多くなった世界観・パラダイム(Wikipedia)。

 

この映画を観た時に、直ぐに以下の芸術家等の話が脳内湧出しました♪

 

 

「見えないものが見える人」がいる。

 

「テンプル・グランディン」(Temple Grandin, 1947年8月29日-)は、ボストン生まれ、アメリカ合衆国の動物学者、非虐待的な家畜施設の設計者。コロラド州立大学准教授。女性。(高機能)自閉症を抱えながら社会的な成功を収めた人物として知られている。グランディンは、1995年に出版された(Wikipedia)。「TED 世界はあらゆる頭脳を必要としている/テンプル・グランディン」→私は自閉症 だからこそ動物の考えがわかる「オリバー・サックス」の著作で取り上げられたことがきっかけで、一般に知られるようになった。その著作のタイトルである「火星の人類学者」は、グランディンが「正常」な人との交流について語った言葉に由来している(Wikipedia)。

 

「フィンセント・ファン・ゴッホ」(双極性障害)「星月夜(ほしづきよ) 糸杉と村」1889。ゴッホの描いた渦巻きは乱流の数学モデルと一致する(「TED 世界はあらゆる頭脳を必要としている/テンプル・グランディン」)。

 

「ジャクソン・ポロック」(双極性障害)の絵(ドリップ・ペインティング=「ドリッピング技法」で描かれた絵)はフラクタルである/物理学者リチャード・テイラー。「フラクタル」幾何学図形/数学者ブノワ・マンデルブロ。

 

「草間彌生」(統合失調症)「ドット・ペインティング」これは耳なし芳一(「怪談」小泉八雲)が幽霊から身を守る為に全身を経で埋め尽くした様に、彼女が恐怖する幻覚・幻聴から身を守る為に作品全体を水玉/ドットで埋め尽くす儀式でもあるとされる(Wikipedia)。

 

「オリバー・サックス」Oliver Sacks、1933年7月9日-2015年8月30日)は、イギリス[1][2]の神経学者。「レナードの朝」1990米【嗜眠性脳炎(眠り病)】。「妻を帽子とまちがえた男」1985【トゥレット障害】チックの症状のひとつに汚言症があり、意図せずに卑猥なまたは冒涜的な言葉を発する事から社会的に受け入れられず二次的に自己評価が低下したり抑うつ的になったりすることがある。ただし、この症状が発症することは稀で子供や軽症例では殆ど見られない。) (Wikipedia)。

 

「伊藤若冲」江戸時代に動植物の細密描写し、また、それだけでなく「動き」も正確に捉えている。「伊藤若冲」に気が付いた人々「売茶翁」「大典顕常」「ジョー・プライス」(「フランク・ロイド・ライト」若きジョー・プライスを骨董店に連れて行き、結果、伊藤若冲を見つける。2016伊藤若冲展は東京都美術館にて開催、JR上野駅下車後会場への途中にあるのが「ル・コルビュジエ(ライトや「ミース・ファン・デル・ローエ」と共に近代建築の三大巨匠)の国立西洋美術館)。

 

「葛飾北斎」の波がハイスピードカメラで撮影された写真とそっくり!

 

「GOMA」ディジュリドゥ奏者・画家GOMAが新たな表現に挑む(NHK「ETV特集「Reborn〜再生を描く〜」」) (後天的サヴァン症候群)。

 

「見えないもの」を「貨幣価値」と相対化してもなあと力いっぱい気力を失ってみる。

 

「見えないものが見える人」達の再現することが不可能な作品として、「ストラディバリ」のストラディバリウス等、世の中にはいろいろなものありますが、私たち「見えないものが見え『ない』人」は、その作品に貨幣価値を付けて「見える」化して見えたと思い込みます。ただ、いくら「見えないもの」を「貨幣価値」と相対化したところ見ることはできない(何故ならば「見えない」のだから)。できそうなことは「見えないもの」を「貨幣価値」と相対化してもなあと力いっぱい気力を失ってみること、そしてそこから「見えないもの」が「ある(かもしれないしないかもしれない)」という「真理」を感じてみる(「ない」のに感じられるのかと思うことが仏教っぽくて何かいいよねと思えます)ことかなと思います。

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