川の流れ 変化と適応
①ひとつの一般的な「理想」として
〇「現状」が「世の中の変化」を受けた場合、それに対して「改革して適応する」
川の流れに例えると
〇「川の流れ」が「自然環境の変化」を受けた場合、それに対して「川の流れを変える」
だが、多くの事柄が上手く変化に適応できていないように感じる。
②ひとつの一般的な「現実」
〇「現状」が「世の中の変化」を受けた場合、それに対して「ただ単に異なるやり方する」
・「多数」で話せば「良い意見」が出ると思っている(無駄な会議の急増)。
・上記の「良い意見」が「正解」であると思っている。そしてその「正解」はただ単に『「多数」の意見』でしかない場合もある(故に求めた「正解」というモノではない)。
・「多数」は「少数」の性格の強いものや声の大きい者の意見が同調圧力のような集団意識で膨れ上がっただけの場合もある。
・結果的に「無駄な仕事が増えた」だけで何も変わってはいないのに「何となく変わった気分」になってしまうことがある。
・その後は無意識的に忖度合戦を続けながら無駄な仕事を半永久(ゆでガエル状態)に続けてしまう(「みんなで変わろう!」という者ほど何も変わらない)。
※『「個人の時間」=「有限」』という意識が薄いと無駄な会議を増やしたり、そこから出た無駄な仕事を続けてしまう可能性が往々にしてある。そればかりかその者自身(忖度合戦参加者=ただ単に組織に忠実な者)が無駄な会議や仕事を無駄に周囲に押し付けて「個人の時間」を奪う。組織は個の集合体なので組織のためという大義の元に上記のような振る舞いをとる者は、結果的には組織を少しずつ衰えさせるかもしれない(組織に忠実なものは戦時には信用できない=進んで戦争に加担する(破滅に向かう)、死の行進/デスマーチ)。
上手く回っているように感じるのはただ単に世の中が平時だからで、有事には薄皮を破るように今まで蓄積した問題が噴出するかもしれない(災害は、単に国土を失うだけではく今まで蓄積した社会問題が噴出する)。